2015/02/21

UDA祝日ゲーム会 (2015/02/11) ~何気ない一手という問題~

11日(水)の建国記念の日に“祝日ゲーム会”ということで4人で自宅ゲームスペースにてクローズゲーム会を開催しました。

プレイできたタイトルについて簡単な感想をこちらにアップしておきます。


“ロングホーン”(ブルーノ・カタラ/ブルー・オレンジ/2014年)

カタラによる2人用の完全情報型、つまりアブストラクトの近作です。昨年のゲームマーケット2014秋、テンデイズゲームズブースにて買い求めた物を今回初めてプレイしました。

舞台は1870年のテキサス、2人のプレイヤーが無法者としてより多くの牛や金塊の獲得を目指します。

場所タイル9枚をランダムに3×3の正方形となるように配置、その上にタイル毎に指定されている数の牛駒を配置、最後に19枚あるアクショントークンをランダムに1枚ずつ配置(つまり約半数のトークンしか1ゲームには登場しない寸法)したら準備終了。

プレイヤーは手番では“1.牛の強奪”と“2.移動”を行い、相手プレイヤーに手番を譲ります。

完全情報型ゆえ先の展開を読むことは可能なのですが、選択肢はいくつか存在するため、展開は枝分かれして広がっていくというのが全体的な構図。複数存在する展開の可能性を検証、吟味し、最適と思える一手の判断、決断を下すことが本作の醍醐味。

程良い調整のアクション効果、シンプルで理解しやすい基幹のルール、高い収束性、美しいヴィンセント・デュトレのアートワークと素晴らしい4色の木製の牛駒等々で全体のクオリティは水準以上で印象は上々。Positive-

気になった点がふたつ。無法者トークンの移動に関してはもう少しルールブックで細かく具体的な説明が欲しいところ。それと巾着袋はあった方がいいかと。

展開の幅の広さがやや不安要素ですが、いずれにせよ良質な2人用アブストラクトではないかと。


“王と枢機卿”(ミヒャエル・シャハト/ゴルトジーバー/2000年)

ドイツゲーム史に残る名高い名作をベストと言われている3人で。

ネットワークビルドとエリアマジョリティが相互にバランスよく上手く噛み合った、実に完成度の高い至高の一品。

発表から15年も経っているにも関わらず、この間に発表された数多の後発秀作ピュアユーロを多数プレイしてきた経験豊富なゲームファンが今やっても十分に面白いと感じるのはスタンダードであれば風化に十分耐えうるという証左かと。(あるいはこの15年にどれだけのタイトルがこの高みに到達できたのだろう。)

シンプルなシステムと盤上での熱い頭脳戦の60分でこれがシャハトの最高傑作と呼ばれることに抵抗は感じない。Positive+。たった3枚の手札とその割にはやや多彩と思われる加点方法という2つの軸が本作の面白さを抽出しているのかな、と思ったりも。

ただそのユーロ的純度の高さから、視野を広くアナログゲーム全般に拡大したときに、非ユーロ的なゲームの魅力の乏しさから人は選ぶかもしれないという思いも。このシャハトならではのあまりにもソリッドな切れ味は、フレーバーやテキストによる特殊効果、あるいはやり込みによる上達というゲームのその他の(これまた捨てがたい)魅力からはやや遠い所にあり、毛嫌いするプレイヤーがいても僕自身はなんら不思議ではありません。

なお本作については以下のレヴューが僕は大変気に入っております。全貌が分かりやすく纏められておりまた純粋にレヴュー単体としても秀逸ではないかと思っております。



“オルレアン”(ライナー・シュトックハウゼン/dlpゲームズ/2014年)

昨エッセンの話題作がようやく国内流通を開始しました。期待と共に初プレイ。4人。

中世のオルレアンを舞台に、各地域に影響力を高めようというのが本作の背景。

全18ラウンド、各ラウンド7フェイズ、またアクションも10種類と聞くととんでもなく時間がかかりそうな気がしますがこれが2時間半もあれば十分終了する割とテキパキと小気味よく進行するゲーム。

要素は少なくないですが、基幹となるシステムは同発の“ヒュペルボレア”にも似た所謂“バッグビルド”とでも呼べそうなもので、自分の巾着袋から各自のパラメータに従った枚数のチップを引き、実行したいアクションに配分して実行していくという分かりやすくて親しみの持てるもの。

やりたいこと、やれることが多岐に渡っており、全18ラウンドもあるのに関わらず、(ゲーム自体の面白さもあって)終了するのはあっという間で、焦点を絞った効率的なプレイなしでは勝利には絡めないでしょう。

BGG等でも一部の建物が強いという意見も出ているようで(この点は自分自身非常に気になるところだったりします)、ここでバランスが崩壊していないかどうかは今後の各プレイヤーの研究を待ちたいところですが、上質なフェルトのゲーマーズゲームから制約やペナルティを幾分排除し、自由度をより加味したような本格的な戦略的マネジメントゲームという印象で評価はPositive

何度も言うようですが、得点獲得への道が複数用意されており、また自由度も高いためどこから手を着けていけばよいのか、その判断、選択にプレイヤー個々の手腕が試される、良質な本格派。

デザイナーの個性というかクセが希薄な事から、例えばワレスやフェルトのような濃厚な味わいをもたらす印象深さこそ残しませんが、(入念なデベロップもあったのか)高いプレイアビリティからストレスも少なく、これまた今期エッセン個人的5傑入りと言っていいかと。


“ディ・スタウファー”(アンドレアス・シュテディンク/ハンス・イム・グリュック/2014年)

すでに各所で評判も上々の“ハンス×シュテディンク”という本作で〆ました。これが2回目。4人。

舞台は12~13世紀、ヘンリー6世統治下のシュタウファー朝。プレイヤーは配下の一貴族として統治下各州での影響力を競うというもの。

シンプルで実に機能的なボード中央のアクション選択部分(手番順とアクション選択を同時に行うという素晴らしいアイデア!)とその周辺をぐるりと囲む各州でのエリアマジョリティという2つの軸がまずは中心となる骨格を作り、そこに各種宝箱や特殊能力カードが加点方法の選択肢や各プレイヤーの取り得る選択肢を周りから肉付けすることでゲームを多面的なものにしているというのが僕の本作のビジョン。

“洗練”という言葉がぴったりとくるような美しいルール、高い収束性と見通しの良さから来る敷居の低さそしてそこからの高いプレイアビリティと高い評判も納得の出来。Positive

ここからはネガティブでやや神経質な話。細かい話ですが喉に刺さった小骨のように若干気になっていることをちょっと掘り下げて考えてみます。
本作ではゲーム開始時に、ゲーム終了時の状況次第で大量得点が可能な3枚の“目的”カード(あるいは“ミッション”カード?)然としたものを受け取ります。ドイツゲームではよくあるタイプのあれのことです。
この所謂“ミッション”の達成にやや危機感というか“危うさ”を僕は感じていまして。というのはこの大量得点の契機が“他者の何気ない一手”によって簡単に妨害されてしまう可能性がやや高すぎる疑惑を拭い去れないでいるのです。
マルチプレイヤーズゲームというのは複数の人間の意思決定の積み重ねであると考えます。この意志の決定こそがボードゲームの最大の醍醐味のひとつであり、そこにできうるだけ神経を集中するのがありうべき姿です。
この意志決定ひとつひとつにはいわば重要度のようなものがあり、たとえば2時間のセッションの雌雄を決するような最終盤の大事な一手もあれば、序盤での己のパラメーター値を若干変化させるだけの小さな一手もあります。
本作の最終盤では多くのプレイヤーが(勝利に遠い位置にいるプレイヤーはあるいは逆転の可能性にすがって)“目的”カードの達成に向けて神経をすり減らして(なにせ成功すればそれに見合うだけの大きな見返りがあるわけですから)盤面に集中し、頭をフル回転させ、そして“渾身の一手”を放ちます。
このときそんな他者の状況になぞ全く注意を払っていないあるプレイヤーの“何気ない一手”によってその“渾身の一手”が簡単に水泡に帰すことが簡単に許されていいのだろうか、という思いが僕にはあります。ここで重要なのは、あるプレイヤーにはその大量得点を妨害するという意志がその一手の判断には介在していないという点です。
そのような状況を僕は“インタラクションの功罪”と見ます。複数の人間の意思決定がもたらす面白さの可能性と危険性がマルチプレイヤーズゲームにおいては不可避なのではないかということです。
その危険性の部分をデザイナーがルールメイクで回避するべきなのかどうか、またそれは可能なのかどうか、等々…。
おそらく本作“ディ・スタウファー”が洗練された高い完成度のタイトルゆえ、自分の中にそんな問題提起が自然と生まれたのだろうと思ってはいます。
といっても本作が今言ったような危険性を孕んでいるかどうか、その判断もついていないというのが正直な実情ではあるのですが…。


というわけでこの日は4タイトルを消化できました。

参加者各位にはいつも通り謝意を。また機会がありましたらどうぞ手合せ願います。

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