例によってプレイできた各タイトルの印象、雑感をこちらにてまとめておきます。全てのタイトルを4人でプレイしました。
“フッガー家”(クラウス=ユルガン・レーデ/アドルング/2003年)
“カルカソンヌ”のレーデが“カルカソンヌ”の3年後、今から11年前に発表したカードゲームです。
手札からカードをプレイし、全5種類の商品の時価を操作しなるべく高く売却することを目指します。
いづれかの商品で5枚目のカードがプレイされたらラウンド終了で、価格の変動処理を行い、各プレイヤーのプレイした場札を全て売却し資産とします。この資産が100を超えたプレイヤーがいたらそこでゲーム終了です。
商品の価格は1から9の九段階で、高騰することで9を超えると1になることもあって、変動はかなりダイナミックで、予断を許さない状況が延々と続きます。
状況によっては価格が二倍となる“特級品”や手札補充をサポートしてくれる“商人”といった一部の特殊なカードが、基本的には地味でシンプルな本作のあくまでも枠の中で気の利いた調味料になっていました。
またNPCともいえる大富豪にラウンド開始時に2枚の商品がプレイされるというアイデアも、各ラウンドの方向性をスタートプレイヤーに委ねないという意味で、印象に残るアイデアのひとつでした。
この手のタイトルは相場変動のメカニクスのアイデアが、特にフリークにとって評価のポイントとなる点と思われますが、本作のそれはまずまずの及第点というのが僕の印象。ここは“ままならなさ”(各プレイヤーの価格変動あるいは決定への支配力といってもいいかと)のバランスの設定がデザインに問われる部分で、まあ決して簡単なものではないですよね。
可もなく不可もなく、そつなく纏められた手堅い一作という印象で評価はPositive-。駆引きも濃厚で十分に楽しめた60分でした。
“CV”(フィリップ・ミウンスキー/グランナ/2013年)
僕自身注目していた、昨年の“シュピール13”にて発表された東欧のデザイナー、ミウンスキー(代表作は“マグヌムサル”や“バルト海”)による新作。
簡単にいえば“人生をテーマにしたヤッツィー”。
手番にはダイスを振り(2回までリロール可能)、結果から場札を獲得し、自分の場札として“人生の履歴書”を築いていく。
ゲームデザインとしては特筆すべき点は少なく、コアなフリークであればセッションの経験はそれほど印象深いものとして残るようなことはないかもしれない。ただ本作をプレイして少なからず感慨に耽ってしまった僕の印象は以下の通りだ。
ここにはシステムやらメカニクスやら果てはランダマイザが云々かんぬんと小難しいことばかり考えているような僕みたいなフリークのアプローチをするりと簡単に躱してしまうような“軽さ”がある。ちょっと話が飛ぶけれど、僕がボードゲームに対して小難しい用語を使って話したくなるのは、いわば理論的理知的理性的に“テーブルゲームの持つ面白さ”の仕組みにアプローチしたい、理解したい、バラバラに噛み砕いて消化したいという思いがあるからだ。そしてそうすることでのみ他人と考えを共有できると信じているから。また同じように分析することが好きなボードゲームファンの意見を聞くのも面白いし、そういった各種意見から自分の意見を改めていく、いわば終わりのないフィードバックとも言えそうな流れは実にスリリングだし、またボードゲームが好きだからこそこういった流れは大変に興味深くて面白く目が離せそうにない。そういったアプローチは誰にも否定できるものではないし、テーブルゲームがひとつの貴重な文化であると捉えれば全くもって必要不可欠なものでもあると考える。
話がいささか飛躍してしまったけれど、そういったアプローチから無縁の世界で輝くような魅力を放つゲームが存在することも確かだと思っていて…。とくに秀逸な子供向けゲーム(たとえば“飴ちゃん工場”のような)に多い気がしているけれど、ある意味ゲーム本来の始原的な楽しさ、英単語一語でいえば“fun”という感覚。おもちゃの延長としての、理屈のない楽しさ。そんな魅力をもったゲームも少なからずある。
本作もそのような魅力をもった一作ではないかというのが僕の印象。“人生”という一言では済まされない有象無象がシニカルで秀逸なアートワークや各種効果の設定でもって、実に味わい深いフレーバーとして表現されている。
僕のようなシステム第一主義のユーロ愛好者でもフレーバーや作品世界の雰囲気を楽しめたのが印象深かった一作。Positive-。勝ち負けは二の次にして新しい人生を最初からやり直せる、その楽しさを味わえる良質のテーブルゲーム。
“フロレンツァ・カードゲーム”(ステファノ・グロッピ/プラセンティア/2013年)
先に発表されていたボードゲームのカードバージョンをギルドカードは抜いて初プレイ(因みにボード版は未プレイ)。
大量のカードに尻込みしてしまいそうになりますが、トゥーマッチ感は希薄な比較的シンプルなワーカー配置&リソース管理。
システムはこれぞ王道といった作りで、経験豊富なプレイヤーであれば非常に馴染のあるテイストから安心感すら覚えそうな安定感のある作り。逆にいえば斬新さ、オリジナリティは希薄かも。
手番に行うアクションが8択でその選択肢の多さに最初は戸惑いそうですが、こちらも難しいものではなく、選択の決断に戸惑うことは少ないかと。
面白いのは“予約”というアイデアで、これは競合する他者に先んじて得点となるカードをキープできるアクションで、これには達成できない時に減点というペナルティが付随しますが、得点を確保できるメリットも大きいものがあり、総じてマネジメントの手腕が問われるところであり本作の醍醐味のひとつかと。
運要素の低い、抜かりのないかっちりとした現代ユーロの好サンプル。
全5ラウンドという歯切れの良さも好印象。ソロプレイ感がやや強く、また戦術戦略の幅の広さが懸念されますが、完成度は悪くなく評価はPositive-。
“栄光ある演習”(ローランド・ジーガー/シュミット/1992年)
22年も前のドイツ産ボードゲームで一種の変形双六。
ダイスもカードも使わないのが最大の特徴のひとつで、進めるマスの数はそのコマの現在の順位によって決定します。また他のコマとのスタックや開始時にランダムで配置される特殊なコマの効果でその進めるマス数に倍率がかかり、状況によっては一気に大量に進むことも可能。
進むマスの数は“1からその数まで”というのがネックで、運要素のないアブストラクトぽい(いやアブストラクトそのものか)本作においてこのルールは長考を誘発する可能性も多分に孕んではいます。
さすがに古いゲームだけあり、洗練された昨今のタイトルをやりこんだゲーマーが心底勝負に没頭できるタイトルかどうかは疑問ですが、古いタイトルならではの長閑さというかスキマの妙はあって、僕なんかはそういう部分が好きなこともあって、いわゆるレガシーゲームにも独特の魅力を感じてしまうんですよね。
こういった古いタイトルを今プレイすることに価値を見いだせるプレイヤーであれば、そのセッションは当然貴重なものですし、このレアなタイトルを持ち込んでいただいたysk氏には僕は感謝の念さえ。
こういったレガシーゲームは面白い/面白くないという軸でその価値を判断するのではなく、当時のゲームデザインの妙を楽しむというのがひとつのアプローチだと僕は捉えており、そういった意味でこれからも数多くのタイトルをこなしていきたいと思っていたりします。
今の目で他タイトルと同様に判断すれば評価はNegative+ですが奇妙で斬新なゲームデザインは大変に新鮮でした。
“アムステルダムの運河”(ガーデンゲームズ/2013年)
昨年のゲームマーケットにて頒布され完売した国産同人をようやく初プレイ。
シンプルながら非常に鋭い陣取りで、手番では影響力タイルを配置するか、その数の運河を敷くかの二択。
やはりトイバーの傑作“レーベンヘルツ”を想起せずにはいられませんが、オリジナリティは十分で、また奥の深い思考のやりとりが堪能できる、名作にも引けを取らない非常に水準の高いタイトルでした。
プレイヤー全てが注意深く細心の注意をもって運河の建設に臨むことが必要で、ちょっとしたミスで第三者に大きな利益が転がる可能性もある点において、参加プレイヤーがゲームに慣れた者ばかりであればあるほど各人に求められるスキルは高くなるでしょうね。
ピンと張りつめた緊張感を強いられる緊迫した60分の熱いセッションで、密度はかなりのものがあったかと。評価はPositive。いやいやガチガチでしたw
本日の“始まったらみんな口を開かなくなる大賞”は間違いなくコレ。ルールもシンプルだし、リプレイバリューも十分ですね。
本作をプレイしてからトイバーが囲碁をプレイしていたのかどうかが気になっていたり。おそらくプレイしていた(つまり囲碁のシステムには習熟していた)と思われるのですがね。
“宝石の煌き”(マーク・アンドレ/スペース・カウボーイズ/2014年)
最近話題の新作を首尾よくプレイすることができました。
メカニクスとしてセットコレクションが採用された、シンプルでクリアな拡大再生産。
ルールはシンプルそのものでインタラクションは昨今のタイトルにしては濃厚。見通しの良さもあって、場に並べられたカードや宝石の獲得をめぐる良質なインタラクションが本作の醍醐味のひとつ。
古き良きスタンダードなドイツゲームが2014年の現在に突然出現したかのようで、こんなシンプルなメカニクスだけで十分に楽しめる良質なユーロがまだまだ作れるんだな、と感心しきり。
シンプルゆえに間口も広く、初心者にも対応してくれるのはグッド。
ただじりじりとした拡大再生産はシンプル故に展開に乏しいという贅沢な問題も同時に孕んでおり、延々と同じことを繰り返しているだけのような錯覚も手伝って、やや収束性に難ありという印象も持ってしまうかも。
終了条件をもう少し緩めて収束性を向上させるという手も当然あったと思われますが、おそらく相当な労力を払ってテストプレイした結果での完成でしょうし、これはこれで十分納得できる高い完成度がありました。
評価はPositive-。個人的にもこの新進のパブリッシャーには注目していきたいと思います。
“アタンダッラ”(ホースト・ロキッテ/(セルフパブリッシュ)/2009年)
ドイツ、アタンダッラ地方(コンポーネントには一部実写の写真も)を舞台にしたご当地タイトルもの。
座標という概念が大きな制限をもたらすタイル配置と4種のリソース管理、メインボードと個々の個人ボード、アクションポイント制などがメインとなるメカニクス。
プレイヤー個々の視線が集中するメインボードを軸にしっかりとインタラクションが生まれており、特に二種類の丸いタイルの購入をめぐる攻防には熱いものが。
勝つためにはメインボードのみに意識を集中しているだけでは至らず、他者のタイル配置からその狙いを読み、手を潰すべく先手を取っていくことが必要で、その辺りが本作ならではの醍醐味。
どうやら無名のデザイナーによる自費出版で、本作以外には発表されたタイトルもないようですが、その見た目のB級ぽさから多くは期待していなかったのですが、いやはや作りはしっかりとしたもので、90分のセッションの間はゲームを楽しめました。
地味ゆえに広範なアピール力には乏しいことと、そのテーマ性の魅力にはやや欠ける部分もあって、好事家によるB級ゲームの域を出ることは難しいでしょうが、意外にもしっかりとした作りに、セッションの機会を得たマニアははっとするかもしれませんね。
憎めない地味渋な永遠のB級ゲームにPositive-の評価を。こういう二次元座標とタイル配置の組合せってあったようでなかったような…(いやあったかなw)。
この他、“5本のキュウリ”、“Nullern”(こちらは6ラウンドのみで協議終了となりましたが)の2タイトルも消化しました。
参加していただいた4名の方に謝意を。UDA土曜ゲーム会では今後もテーブルゲームの魅力についてせまっていけるセッションを続けていきたいものです。
CVが欲しくなり、アムステルダムの運河とアタンダッラが気になりました。
返信削除レガシーゲームだけの会とかも開いてみたいものですねー。
いつもコメントありがとうございます。
削除CVはイラストやフレーバーからできる限りの想像を膨らませて第二の人生を是非楽しんでください。
シニカルで風刺の効いた大人のための人生ゲームとも言えるかと思いますよ。
レガシーゲームの会、いいですね。
プレイすることに意義があるタイトルというのもあると思ってるんですよね。
今の感覚で古いゲームに接すると意外に新鮮なんですよね。そこが面白いなあ、と。